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然(ぜん)
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女性
自己紹介:
赤也溺愛。
愛しいの極み。 リョーガ様にトキメク毎日。 氷帝立海四天宝寺(ブンジロ、仁赤、光謙、金リョ)が特に大好きですが、最早テニスの王子様という存在が愛しいです。 黒バスにハマりました。青黒愛。 ブログ内検索最古記事 |
Diaryテニスが好きで仕方がない日々。PAGE | 72 71 70 69 68 67 66 65 64 63 62 | ADMIN | WRITE 2006.11.02 Thu 14:15:35 ジャンプ見れば見るほどディノヒバはヤバイ。
------------------------------------------------------ 私は自分自身に対して八方美人のような気がするんだ。 前、「私のこの中途半端な八方美人が~」とかなんとか書いたが。 誰にでもいい顔する とかの八方美人とはちょっと違くて、 誰も多分「嫌い」になりたくないんだと思う。 苦手とかそういうのはあるけどさ、苦手と嫌いは違うものだと思うし、嫌!って思っても多分嫌いにはならないように嫌いにはならないようにって意味わかんないけど、自分に言い聞かせてるとこころがあるような気がする。 誰かを、「嫌い」になりたくないんだと思う。 誰かを嫌いな自分も嫌ってのもあるんだと思う。だから自分自身に対して八方美人。 誰にでもイイトコはあるし、悪い人じゃないし、「嫌い」ではない。苦手で、生理的に嫌でも「嫌い」じゃないから、だからだからどうにかしてその人とも接しようと思うし、無下にシカトとかしたら申し訳ないし、もしかしたら相手が傷つくかもしれん!!とか。ムカつくことも多々あっても、根はキット嫌な奴じゃないはず!!イイトコ探そうとか必死になったりする。それってある意味ではプラスだけど、悪い言い方すれば偽善にも近いような気もする。(私はこの「偽善」って言葉が最上級に嫌いなので、あまり使いたくはないのだが)しかも苦手で無理~~~~~な具合なのにそういう風にするからストレス溜まる。イライラしちゃうよね。 (ストレスが溜まるっていうことに対しても言いたいことがあるんだが、脱線するのでまた) そしたらね、友達が凄いこと言ったの。 なんて言ったと思う? 「嫌いは嫌いでいいんだよ」 って。 すげくね!? すげーそうだと思った。 すげかった・・・。 すげぇ楽になった。 「そうか!!」って思った。 無理して「嫌いじゃない!「嫌い」っていうのは悪いことだから「嫌い」ではない!」って思わなくていいんだよってことなんだよね。 コレマジ凄い。 めっちゃ単純なことで、多分その友達にとったら、「当たり前」のことなんだと思うの。多分その子は普通に「嫌い」は「嫌い」で自分自身に受け入れてるんだと思うんだよね。至極当然に。だからこそ、説得力がある。 私は多分「嫌い」ってことに対して「凄くいけないようなこと」っていう意識があったんだと思う。 その人のことを全部を知ってるわけでもないのに、「嫌い」になっちゃいけないって思ってたんだ。(全部知るなんて不可能だが) 私ね、フィーリングってモノが割りと欠落してるんですよ。 感覚っていうモノが。 全て全部、「考える」の。 「考えるんじゃなくて、感じろ」 ってよく言うじゃん?やっぱり考えるよりも、感覚的に直感的に感じることの方が、素直で本当のような気がしなくもない。 「感じる」って理屈とかそういうのなしで本当に「感じてる」んだもん。それってマジ凄いことで、ある意味では一番信頼信用できるものだよね。 でもね、私それ無理なんすよ。 割と「感じる」ことが苦手。 私めっちゃ理論的で理屈っぽい。根拠立てて証明分析してだからこうだ!みたいな(でも数学は苦手)哲学くさいとこもある。 それはそれで分析して考えるのも大事で楽しいんだけど、色々考えてしまくから「嫌いは嫌いでいい」だなんて単純なことに全然気づかなかった。 フィーリングがよくわかってないから、「うわ・・・なんか生理的に無理」とか「イラつく」とか思っても「何かしら・・・どこかしらイイトコあるはず!!「嫌い」になるのは失礼だ!」みたいな。 でもさ、人間って「合う」「合わない」ってあるんだよね。 それが普通で。「理由はよく判らないけど、感覚的に合わない」人間って一杯いるんだよね。 感覚って難しい・・。 「そう感じる」ってのはある意味凄く単純なんですよね。理由も根拠もないから。理由も根拠もないから本当にそう感じるだけで、感覚ってのはそれが全てなんだよな。勿論全てが正解だとは思わないけど。感覚が間違ってた!ってことも沢山あるとは思うよ。ただ、感覚ってことにおいては、「感覚」そのものずばり!それだけが全てってことね。それしかないんだよ。 だから、単純だけど、難しい。 理由とか根拠とかあった方が分かりやすいもん。 納得も出来るもんよ。 感覚が苦手ってのは割りと致命的だなって思う。 つうか私は「感じ」てもそれに根拠とか理由とか、ワケをつけたがる性格なんだと思われる。こうだからこうだ!みたいな。それがマイナスなことだったら尚更。(例えば、私は「好き」っていう「感覚」に関しては理由は要らないって思ってるし。) だから私は考える派。多分殆ど全てのことに対して考えてる。 感じたことに対しても考える。 そんな必要ないかもしれないのに。 感じたことに対して信頼してないのかもしれない。とも言える。 感じたことを素直に受け止められないのか? 無理なんですよね。 感じられないわけなじゃないけど、感じることに対しても考えて考えて、考えてしまうっていうのは、やはりある意味で「感じる、感覚」って言うものが理解できないからかもしれない。だから「感じ」れてないんだって言い方が出来るのかもしれない。 よく判らないの。 考えることを否定してるわけじゃないよ。 そんなこと言ったら私は自分の大半を否定しなくてはならなくなる。 それは避けたい。 人間は考えれる生き物なんだから存分に「考える」って行動をとったほうがいいとは思う。 けど、それは嵌りすぎると不必要なところにまで影響を及ぼして至極単純なことを見落とすから危険であるようにも思われる。(事実私は嫌いは嫌いということが判らなかった。むしろ嫌いということ自体を理解してなかったのかも知れないとさえ言える) 人間以外の生き物が考えるってことが出来ないのだとしたら、やはり「感覚」で生きてるのだから、地球上の1生物として人間もやはり「感覚」っていうものが生きてくうえで一番大事で重要なことなのだろうなぁとは思う。 でもある意味ではそれは人間として、でなく、生物として。ということになるのかもな。 生物、イキモノ、命あるものとして一番重要なのはおそらく「感覚」だと思う。 そして多分人間として一番重要ななのは「考える」ことなのかもしれない。 つまり、ヒト(生物学上の呼称を用いるのがココでは適切であるように思う)として生きていくためにはどちらもが必要不可欠な部類なのだろうな。 私はもっと感覚を養うべきで、たまには感覚で行動するのもありかもしれない。右脳、左脳、両方を上手く使えるようなヒトになりたいな。 なんか長くなったが、とりあえず「嫌いは嫌い」で。 そしてそれは「悪いこと」ではなくて。 たまには自分の「感覚」にしたがってみようと思う。 それも勇気だ。 PR TrackbacksTRACKBACK URL : CommentsComment Form |